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心の沙漠を耕そう

<緑の協力隊・やまなし甲府隊リポート/1>2002年7月26日〜8月1日
中国内モンゴル自治区・クブチ沙漠

今年も「自分探しの旅」に出よう (旅の前記)

 人生は出会いであり、その出会いは特別な人にしか招待状は来ない。
 しかもその出会いは、あなたの人生で二度とやって来ない。
 人間の一生にはさまざまな岐路がある。不惑の40歳と言われるが、40代も後半になると、ふと立ち止まって自分の人生を振り返り、自分の一生はこれでいいのだろうか、今まで何をしてきたのだろうか、これから自分はどのように生きていったらよいかなどと、心の迷いと揺れがある。
 遠山正瑛先生との出会いは、当時48歳迷走中の僕に強烈なインパクトを与えてくれた。そして、その出会いから何か不思議な大きな力(サムシング・グレイト)を感じることができた。
 富士吉田市出身で日川高校の大先輩である遠山先生(鳥取大学名誉教授・日本沙漠緑化実践協会会長)は、地球の4割以上が沙漠化している危機を憂い、中国内モンゴル自治区のクブチ沙漠の緑化に挑戦した。このプロジェクトに取り組んだとき、遠山先生は83歳だった。当初は中国政府からも相手にされなかったが、沙漠にポプラや砂柳の植樹を始めて年を重ねる毎に遠山先生の実績が評価されてきた。
 ここにも人と人の出会いがあった。1990年、中国人の王明海氏(内蒙古オルドスグループ副総裁)とともに内蒙古の恩格貝・クブチ沙漠に入り、道路づくりから拠点づくり、ポプラの植樹活動を行うなど未開拓な事業に協働で取り組んだ。
 不毛の地であった沙漠には、ウサギ、トンボ、カササギなどの動物や昆虫が戻ってきて新しい生態系がつくられ、沙漠緑化プロジェクトは見事に成功した。農園も整備され、ジャガイモ、トマト、スイカのほか、甲州ブドウが収穫され、砂漠の民の生活を潤している。遊牧に頼っていた経済を起こして定着農業の見本をつくり、現地の人々の就労の場を確保するなど、自活の道を拓く支援(扶貧対策)になった。
 クブチ沙漠での遠山先生の実験がきっかけで、中国政府は北西部開発に力を入れて沙漠開発政策を強化し、ほかの地区の緑化活動も発展している。そして、何と中国政府は沙漠の中に遠山先生の銅像を建立した。遠山先生の先駆的・開拓的貢献に対する最大限の感謝であろうが、生存中の人の銅像が建てられたのは毛沢東と遠山先生の二人だけだそうである。日中の長い歴史の中で画期的なことである。
 10年前に聞いた遠山先生の講演の内容が、今でも鮮明に思い出される。
 「人間が緑の大地を沙漠化したのだから、沙漠緑化は人間の義務である。人間は、自然には勝てないが、沙漠には勝てる。やればできる、やらなければできない。」
 「頭で考えていてはだめだ。君も、沙漠に行きなさい。」
 この言葉に鼓舞されて「緑の協力隊第6次隊」に参加したのは正解であった。人間の英知と努力で沙漠が着実に緑化する光景を目の当たりにして、これは青少年のボランティア体験プログラムとして実施する価値があると考えた。
 1998年夏に「第1次・緑の協力隊やまなし甲府隊」を結成し、中・高生や大学生を中心にして沙漠緑化の旅が始まった。日本から2日がかりで到着した後、地表の温度が50度を越える灼熱の太陽の下で黙々と穴を掘り、ポプラを植樹する。夜は、昼の重労働の疲も忘れて遠山先生の「沙漠講座」を聞く姿は真剣だ。ミルキー・ウェイの天の川が中央に走る満天の星空を仰ぎ、大自然の偉大さを感じながら、今を生きている確かな自分を発見する。日本とは全く異なる環境での生活は、改めて自分を見つめる機会となる。
 若者たちは、それまで何となく生活を送り、衣食住のすべてが当たり前のように思い込み、豊かさの実感や感謝もなかったことであろう。だが、スイカ一切れを6人で分けて食べる「共生体験」や沙漠での共同生活を通じて、「自分はこのままでいいのだろうか」と内省する。そして、沙漠緑化に関わることで「やればできる」と自信を持ち、自分の進路など明日への希望を抱くことができる。
 このようなビッグチャンスは、日本から遠く離れた沙漠ならではのことである。それは、10年前の僕が身を持って感じた「出会いの成果」である。この出会いの意味と価値を、若者たちに体験し学んでほしかったのだ。
 青春とは、心の若さである。志を高くかかげ、希望と勇気を持って目標に向かい、不屈の魂で前進する限り、80歳であろうと、90歳であろうと、人は青春である。
 遠山先生は、今年97歳の年齢を感じさせない若さと情熱で沙漠緑化に命をかけている。その真剣な生きざまに心を揺さぶられた若者は、自分自身の心の沙漠を耕し、種をまき、しっかりと心の苗を育て、困難や苦しみに挑戦して生きる力を充電するであろう。
 今年も7月26日〜8月1日、12人の若者を含む18人からなる緑の協力隊やまなし甲府隊が沙漠緑化の旅立ちをする。短い一週間だが、年齢14歳から74歳までの緑の大家族の一人ひとりにとって、きっと新しい可能性を求める「自分探しの旅」になるだろう。

NPO法人 山梨県ボランティア協会事務局長 岡 尚志


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<緑の協力隊・やまなし甲府隊リポート/2>

沙漠緑化に命をかけた10年の軌跡 (旅の後記)

 8月1日、緑の協力隊・第5次やまなし甲府隊が無事に帰国した。成田からバスの道中を楽しくかつ有意義な時間を過ごして山梨県ボランティアセンターに着くと家族が待っていた。参加した12人の若者たちの家族はさぞかしほっと安堵の思いで我が子を迎えたことだろう。大切な子どもさんを一週間お預かりした我々事務局も、どっと肩の荷が下りる思いであった。
 緑の協力隊の目的は、第1に中国内蒙古の沙漠緑化をすることである。第2に緑化活動を通じて民間の立場で日中友好親善を図ることである。そして第3に青少年教育プログラムとして国際ボランティアや環境ボランティアの体験の場をつくることである。
 山梨県ボランティア協会が中心になって、日中平和友好会の武藤さん、甲府中央ライオンズクラブ、測量設計業協会などのご協力をいただきながら緑の協力隊を結成してから早くも5年が経過した。この間、91人が参加し、そのうち53人の若者が沙漠で汗を流し、夜は遠山先生の沙漠講座を聞き、満天の星空の下で語り明かして連帯の絆を深め、自分探しの旅をした。沙漠緑化の旅が進路を決めるターニングポイントになって農学部や環境関係の学部に進路を選択するなど、若者の生き方に大きな影響を与えている。
 その原動力は遠山先生である。97歳になってもなお沙漠緑化に命をかけて取り組んでいる熱き情熱と行動力で真摯に生きる生きざまが若者たちの心の奥底を揺さぶり、本来持ち合わせている潜在的な「生きる力」を引き出しているのである。
 沙漠緑化の10年の軌跡は、新しい中国の北西部開発の歴史を拓いたと言っても過言ではないと思うが、その偉業の一端を記しておきたい。
 NGO団体・日本沙漠緑化実践協会が発足し緑の協力隊を中国内蒙古恩格貝のクブチ沙漠に派遣したのが1991年の春のこと、その年は道路事情も悪く砂漠への往復路に難儀した。そして、翌年の1992年9月、第6次隊に僕は参加した。
 2002年4月発行の「さばく」に今までの協力隊の実績が掲載されているが、広大な沙漠の一角にある「クブチ沙漠総合開発示範区」の面積は東西18キロ、南北10キロ(最長15キロ)で20,000haである。ここに緑の協力隊の活動拠点をつくって沙漠緑化に取り組んできた。日本からの協力隊は335隊、参加人数は6,665人がポプラの植樹を行い本数は3,026,339本、植林面積は2,000haとなっている。
10年前と今とを比較してみると、宿舎の周辺は荒れ地であったが電柱の高さを越える勢いのポプラが街路樹をなしていて、沙漠のポプラ並木は田園調の情緒豊かな風情である。大きく伸びたポプラに囲まれた農地には、花が咲き、野菜が育ち、西瓜があちこちに転がるなど農業生産も着実に根付いている。
 宿舎に隣接した7戸の集落は増えて、沙漠を横断する街道の主要拠点となり売店や飲食店、床屋などが軒を連ねるようになっている。そして、牧畜や農業生産品を加工するための工場が建てられ、そこに働く従業員など流動人口は約300人ほどの村が形成された。
 かつて荒れ地であった高台には現代風の賓館(ホテル)が建てられ、中国国内から沙漠のオアシスを求めて観光客がひっきりなしに訪れている。大雨の後にダムをつくって沙漠に貯水した人口湖にはモーターボートがエンジンの音を高らかに響かせ、スノーモービルが沙丘を走り回り、ビーチパラソルの下で家族連れがくつろぎ、馬やラクダの背に揺られた観光客がのどかに楽しんでいる。
 10年前の沙漠しか記憶にない者にとっては、浦島太郎の幻想のような世界である。この変化をどう受け止めるか。日本人は沙漠にポプラを植樹して緑化活動に汗を流し、中国人は緑化された沙漠にオアシスを求めて観光に興じている。どこか変だぞと思うか、これでいいんだと思うか、複雑な思いで観光地化した沙漠のミニ・レジャーランドを眺めた。「なぜ、日本人が中国の内モンゴルまで来て沙漠緑化をするのか?」これは重要な疑問であるが、遠山先生が提唱している沙漠緑化の意義と役割がここにある。それは、一人の農学博士の思いから発した地球規模での環境問題を解決するために不可欠な人間の行動であり、日中友好の歴史を刻む大切な営みである。
 沙漠緑化・開発は世界平和の道を拓くための入り口である。環境問題だけでなく60億余の世界の人口の食糧問題を解決するためにも取り組んでいかなければならない人類の課題である。そのことに気づいた遠山先生が自らの身を削る思いで命がけで沙漠緑化・開発を実践してきた。その成果が今目の前に実現している。
 ポプラを植樹するという緑化の実践ノウハウはすでに中国に引き継がれ、今後は各地でその知恵を行動に移していくことと思われる。そして、不毛の地で放牧のみに依存し貧しい生活をしていた沙漠の民が自立しエンパワーメントしていくことを期待する。
日本の歴史をひもどいてみると、かつて遣唐使、遣隋使が中国に学んだが、その若者たちは約6,000人だと言われている。彼らが持ち帰った文化が、日本の生活のあらゆる場面で伝承され今日生きていることを考えると、感慨深い思いがする。
 緑の協力隊の果たしてきた役割は、緑の大地を荒れるに任せて放置し、植林する必要感もないままに沙漠化してしまった中国への恩返しのような気がする。その一端を担うことの意義の自覚と心意気が、「なぜ、日本人が?」の答えであると思う。しかし、それは沙漠に行って実際に灼熱の太陽の下で大地に穴を掘り、ポプラを一本一本植えた者でないと理解できないことなのかも知れない。
 小高い砂丘に登って周囲を一望した。関東平野を包含してしまうクブチ沙漠は広大である。沙丘の向こうにさらに沙丘が折り重なるように果てしなく連なっている。その一角に緑の小島が浮かんでいた。
小さな点の存在ではあるが、それは遠山イズムの執念の足跡である。
 「一木一草」。一本の木を植えなければ森は育たない。一本の草を育てなければ草原は広がらない。「やればできる。やらなければできない。」「目標のない人生は意味がない。」「沙漠緑化活動は人間の心づくり、人づくりである。」・・・など、遠山語録は限りない。
 沙漠講座で熱く語られた遠山先生の言葉の意味を深く受け止めながら、沙漠緑化の必要性と植樹への参加呼びかけをしていくこと、このことが今後の与えられた宿題である。
 金満飽食、衣食満ち足りて礼節を欠き、利己主義の横行する日本の社会の中で、このような思いを伝えていくのは困難と空しさが伴うだろう。しかし、誰かが動きださなければ、何も始まらない。その誰かになる、ボランティアの一歩を踏み出そう。 (了)

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